第1話 「伝説の流れ板」

おかみさん、あっしがいきやす…



バカだねー!あんたがいったってどうにもならないだろ!

おかみさんがそう言うのも無理はなかった。

ひと月前に皿洗いとして雇った熊におかみさんが信頼を寄せてるはずもなかった。

この人が行くって言うんだからいいじゃないですか?

この料亭の花板、杉村がおかみさんに言った。

そしてさらに続けた。

どうせ向こうの花板にはこっちの誰がいっても太刀打ちできませんよ…

杉村がそういうと、おかみさんも無口に俯いてしまった。

事の発端はこだった。

代々この町でお得意様をもって営んできた料亭「火千」

そこに最近この町に新しい支店をだしてきた老舗料亭「網嵐」が売上を伸ばそうと

料亭「火千」に対して今後の料亭の存続をかけて料理で勝負をしようと言ってきた

のだ。

網嵐からの提案で審査員には全員火千のお得意様で構わないとのだった。

お得意様の前で味の違いを見せつけられてはどうあがいても今後の店の存続は

できないであろうという網嵐からの提案であった。

おかみさんは当初この申し出を断ってきたが度重なる網嵐からの火千に対する

嫌がらせを受けて、おかみさんも今の店の事を考え嫌がらせが終わるならと、

渋々承諾してしまったのである。

先代の花板は腕も良くそれなりに繁盛していたのだが、今の花板杉村に代わっ

てからは味も落ちかなりのお得意様を失っていて経営も厳しい状況だったのである。

では、いって参りやす…

熊はさらしに巻いた道具(包丁)をバッグから取り出し左手に持つと勝負の会場へ

ゆっくり向かった。

町で一番大きいホールに特設会場が設けられていた。

会場につくとすでに網嵐の花板 藪が弟子を脇にしたがえてイスに座っていた。

ん?知らねー顔だな?オメーみたいな板前が火千にいたっけな?

藪は一月前に雇われた皿洗いなど当然知る由もなかった。

あっしが本日そちらさんの相手をさせていただきやす熊と申しやす

熊が軽くお辞儀をすると藪はおう!とばかりに無言でアゴを突き出してみせた。

お得意様が会場に到着したところで今回の料理勝負が開始された。

勝負が開始されてまもなく、おかみさんも花板の杉村も網嵐の花板 藪に

圧倒された。

お、おかみさん見てください!

藪の使ってる包丁の桜の紋様!ありゃ桜吹雪!ですぜ!

杉村が驚くのも無理はなかった。

この包丁はごく選ばれた人間にしか作ってはもらえず、名工からも一流と

認められた料理人の証なのである。

包丁くらいでなんだい!

おかみさんはそういいながらも焦っていた。

全く望みはないと思って送りだした熊であったが多少の望みを持って

熊に目をやってみた。

ねえ杉村!熊の使ってる包丁、ありゃなんだい?

やけにギラギラしてて、まるで刀だね?しかも熊の手の紋様だよ?

え…?

杉村は絶句した。

おかみさん、熊の使ってる包丁は人間国宝の刀鍛冶「田中道元」作の

包丁です!

確か後にも先にも一組しか打たなかったという伝説の包丁…

そ、それをなんで熊が!?

そして料理をしていくにつれ仕事の速さ、丁寧さ、そして正確さ

どれをとっても網嵐の藪を上回っていた。

お得意様が試食をするまでもなくその差は圧倒的であった。

くそっ!負けた…

敵といいつつもやはり一流料理人。

藪は素直に負けを認めた。

あんたさっき熊って名乗ったけどちゃんと名前聞かせてくれねーかい?

あっしの名は流 熊三郎

な、流熊三郎!?あ、あんたがあの伝説の…

いえいえ、あっしはしがない流れの板でやす

そういうと熊は会場を後にした。

本当にいっちまうのかい?あんたさえよかったうちで花板として雇ってもいいんだよ!

元々忙しいこの時期のひと月という事で熊を雇っていたがおかみさんであったが

熊を引き止めようと必死だった。

いえ、お気持ちはありがてーでやすがあっしは流れ板…

またどこかへ流れやす

おかみさんもお元気でやってくだせぇ

そういい残して熊はまた流れていったのであった。
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by yamap1967 | 2008-05-29 13:31 | 流 熊三郎
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